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二十八年目のコーヒー

 

 僕のじいちゃんは、控えめに言ってとても無口な人だった。一人暮らしの家を訪ねても、眉間に海溝みたいな皺を集めて難しい顔ばかりしていた。そんなだったから、僕はじいちゃんが嫌いだった。
 二十七歳。若くもなく、老いてもいない。どっちを向いても中途半端な年齢に、僕は結婚することになった。この話は、結婚前の僕たちがじいちゃんに会いに行った時の話だ。

 じいちゃんが住む京都。その日は僕の気持ちを代弁するように、どんよりとした分厚い雲が、行き場を無くして空に浮かんでいた。
 久しぶりの再会は、僕が予想していた通りの沈黙がその場を支配していたし、結婚報告も「そうか」の一言で片付いてしまった。僕たちの間には、重ねるべき言葉も、振り返るべき事柄もないのだ、僕はそう思っていた。
 居心地の悪さから、早々に帰ろうとした僕たちをじいちゃんは引き止めた。気難しそうに、「行きたいところがある」と言ったのだ。見たこともないじいちゃんの態度は僕を落ち着かなくさせたけれど、僕たちは仕方なくじいちゃんの後をついて行った。

 連れてこられた所は、近所の喫茶店だった。僕と彼女はブレンドを頼み、じいちゃんは随分迷った後でモカを二つ注文した。「二つ?」怪訝な顔の僕たちに、じいちゃんは途切れ途切れに言葉を紡いだ。「これは、ばぁちゃんの、分だ。」その声は、今まで抱いていたじいちゃんという人間像を見事に吹き飛ばした。それ程までにぶっきらぼうな、じいちゃんのイメージとはかけ離れた言葉だったのだ。

 じいちゃんは、僕くらいの年を戦後間もない日本で過ごした。ばぁちゃんとの間に親父が生まれ、日本もこれから少しずつ伸びていく頃だったそうだ。当時はインスタントコーヒーも普及していたが、喫茶店が出してくれる本格的なコーヒーは、飲むのが躊躇われる程の値段がしていた。じいちゃんたちは月に一度、二人で飲む喫茶店のコーヒーを楽しみにしていたそうだ。コーヒーが待ち焦がれる程の贅沢だなんて、僕には想像がつかない。じいちゃんはあの頃の思い出に出来るほど、その時間を愛していたのだ。しかし、親父が六つになる頃、ばぁちゃんは亡くなった。仕事は年々増えていき、寝る間も惜しんで働いた末の事だった。じいちゃんは悲しんだ。自分が悪かったのだと、責めもした。

 それ以来、二人の幸せの象徴であるコーヒーを飲まなくなった。二度の例外を除いて。一度目は親父の結婚。そして二度目は、今日だ。二十八年ぶりに、じいちゃんはコーヒーで口を濡らした。カップを見つめた後、やっとの事で「うまい」と一言もらした。じいちゃんは不器用なだけで、僕たちを心から祝福していたのだ。

 僕はコーヒーを通じて初めてじいちゃんのあり方がわかった気がした。あの時空席で湯気をくゆらせていたコーヒーは、その熱を失ってもなお僕たちの人生にその香りを残し続けている。

 

 
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