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据え膳と死と

 

 据え膳食わぬは男の恥だ。

 という言葉がある。僕もそう思う。 けれど、僕はエロいけれど、獣とか、人で無しとかそういうカテゴリーには属されていない訳で、 26年間も生きているとそういう場面で涙をのんで断ったことって結構多い。 女の子の照れ隠しの言葉、あるいは罵る声を聞きながら、僕は都度勿体無い事をしたかな、と思う。 でも男は誰だってシタクナイ奴なんていない。男が女を抱けない時には、誰だって何かしら理由というものがあるんだ。きっと。

 高校生3年生の卒業を控えた頃だった。大学入学が決まり、僕には何をする事も無い時間が有り余る程あった。 ポケベルに大学生のお姉さんから『アイタイ』とメッセージが届く。その度に僕はお姉さんに会いに行き、彼女の話を聞いた。 彼女は大学2年生で、僕の友達だった。名前は仮にとも子とする。

 とも子はいつもミスタードーナツのホットコーヒーを4杯おかわり出来る程長い時間をかけて、たっぷりと自分の悩みを僕にぶちまけた。 それは全部が全部恋愛の話で、正直聞いていて辛かった。一時間もすると必ずとも子は泣き出す。辛い、辛い、辛いと。

 そんなサンドバッグのような僕の役割も3,4回会った頃に変化が訪れた。 珍しく、とも子は家のシビックを駆り出し、僕にドライブに行こうと言った。行く当ても無いドライブ。 3月も終わりに向かい、春の息吹が聞こえていたが、それでもまだ十分に肌寒かった。 車の中でもやはり話題は、とも子の別れた彼氏と、周りとの人間関係の事だった。

 どことも知れぬ道をひたすら走り、僕らは話を続ける。そして来たこともない道の駅でしばらく外を散歩した。 辺りが真っ暗になった頃、僕は帰ろうかと聞いた。 とも子は泣きながら「甘えていいかな?」と聞いてきた。答えも待たずに彼女は僕に抱きついた。

 胸の辺りで、嗚咽が聞こえる、僕は何の為に彼女が泣いているのか知っていた。 辛い、辛い、辛い、辛い。いつだって、彼女は自分の為に泣いている。彼女は僕に無言のキスをせがんだ。 僕はいう通りにしてやった。彼女じゃない人とキスをしたのは、その時が初めてだった。

 僕にはとも子に対する恋愛感情が無かった。きっと今くらい僕の頭も冷静だったら彼女とそのまま寝ることもなかっただろう。 けれども僕は寝た。高校3年生の春休みに。とも子の荒れ痛んだ心を落ち着ける為のセックス。 医者が治療の一貫で行うような。気持ちの高鳴りなんてこれっぽっちも無かった。僕はとも子の気持ちを落ち着けるだけの道具に過ぎなかった。

 ドライブでの出来事は無かったかのように、それからも僕は彼女の話を聞いた。 そして、僕は気づいた。彼女の恋愛が上手くいかないのは、彼女の心の弱さに由来する。 他者への完全な依存。依存なくしてはありえない彼女自体の心。依存の形としてのセックス。 裏切られた時の憎悪、猜疑心のかたまり、矛盾した心。それを認められない自分。苦しんでいる、けれどもその場所が心地いい。 そこから一歩も動かなければ、本当の自分が傷つかないですむから。

 それを本人も気づいている。それならば僕に出来る助言はもう無かった。 後は本人が動くか動かないかだけの問題でしかない。きっと今までの彼氏も変わらないとも子にサジを投げたんだ。

 何度か会っているうちにまたドライブしようという話になった。 そしてその時もまた同じような話をした。本当の自分が分からないととも子は言った。 「僕に見せているのは素じゃないのかい?」僕は尋ねた。素だよと答えた。 「なら他の人にも同じようにすればいいじゃないか?」僕は言った。とも子はそうね、と笑った。 その時、とも子の中の何かが、いいように変わったように思えた。けれどもそれは僕の勘違いだった。

 とも子は、助手席の僕に手を置き、「甘えていい?」と聞いてきた。とも子は何も変わっちゃいなかった。 はだけた慎ましい胸が目の前にあった。僕は黙った。せっかく良くなるきっかけが目の前にあるのに、それを自らフイにしているような気がしたからだ。 「今日は止めとこう。」僕は本能を落ち着かせながら言った。
「せっかく良くなってるような気がしたのに、それじゃ今までと変わらないじゃないか。」
「誰とでも寝てるわけじゃないのよ?」とも子は声を抑えながら答える。

 いつだって断られる女の子ほど惨めなものってない(と、女性は思うのだろうか?)。けれども僕は断った。 「女に恥をかかせない」とかそんな綺麗で都合のいい言葉を受け入れるより、彼女自身が変わる事を、その時の僕は切に望んでいたのだから。

 とも子は照れ隠しとも誤魔化しともとれる言葉を話していた。けれども僕には何も聞こえていなかった。 僕のどんな言葉も彼女の変わるきっかけになっていない事がひたすらショックだった。 誰にも依存しきらない―それが立ち直るきっかけだと思っていたのだから。

 都合よく聞こえるかもしれないけど、僕はとも子の口から寝ようなんて言葉がもう出ない事を願っていた。 推測でしかないけれど、とも子は僕が拒んでも、次に拒まない誰かを探すような気がした。 次にぬるま湯に浸らせてくれるだれかを。僕っていう存在は、彼女にとって何だったのだろうか?  聞いてみたい気もするけど、8年の歳月を経た今となっては、もうそれも出来ない。

 渋々あきらめたとも子は、車を帰路に向けた。 初心者マークのついた銀のシビックは時速80キロをさし、しばしば僕はそれを咎めた。 降ろしてもらう場所が近づいてくると、とも子は車の中で叫びだした。

「ああああああああ!」

 僕はこんな不安定な女性とずっと話をしていたのだろうか? 気づいていなかった自分が恐ろしい。 この時ばかりは本当に怖かった。とも子の叫びは僕の死すら意識せざるを得なかった。 僕の命は彼女のハンドル捌き一つに握られている。ふと彼女が死のうと思えば、いつだって僕は死の巻き添えを食らう場所にいたのだから。

 そんな事があってからも、しばらくポケベルに『アイタイ』と入ってきた。 僕は無視を決め込んだ。僕があげられるものは全部あげてしまった。 後は自分自身に、立ち向かっていく気があるか無いかの問題でしかないと思うから。

 それに君の車にはもう怖くて乗れそうにない。

 

 
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